前職のオリンピア眼科病院では甲状腺眼症の診療に携わり多くの患者さんと一緒に治療をしてきました。一般の眼科医は甲状腺眼症に遭遇する事は多くありません。僕も病院での初めての外来でそれまでに見てきた甲状腺眼症の患者さんを遥かに超える数の患者さんを診察させていただき驚いた記憶があります。それから長い間診療に携わって感じた事は甲状腺眼症はつらい病気であるという事です。女性に多い病気ですが顔貌の変化は患者さんに精神的な負担を強いります。また複視などが強くなれば仕事も休まなくてはなりません。幸いにしてこの病気は数年すると落ち着いてくることが多いものです。しかし一時期とてもつらそうにしている患者さんを励ましながら一緒に治療してきた時間はとても意義のあることだと感じています。これからも患者さんと一緒にこの病気を乗り越えていきたいと思っています。
- 甲状腺眼症(バセドウ眼症)とは
- 自己免疫と自己抗体
- 甲状腺眼症の症状
- 甲状腺眼症の治療
甲状腺眼症とは
バセドウ病(甲状腺機能亢進症)の患者さんに多く見られる目の症状ですが、橋本病(甲状腺機能低下症)の患者さんにも時々見られます。最も多い症状はまぶたが腫れたり、目の見開きが強くなったり(上眼瞼後退)することです。また目が前に出てきたり(眼球突出)、目の動きが悪くなって物が二つに見えてしまったりすること(複視)があります。進行すると視力が落ちたり、色が良くわからなくなったり、視野が欠けたりすることもあります。
なぜこのような症状が起こるのでしょうか。バセドウ病は自己免疫が原因となって起こる病気ですが、目の症状もこの自己免疫が原因で起こると考えられています。では自己免疫とはなんでしょう。
自己免疫と自己抗体
免疫という言葉はみなさんも知っていると思います。体には外部から細菌やウィルスなどの病原体が侵入したときにそれらを攻撃して排除しようとする力があります。がん細胞など正常の組織ではないと認識した時も免疫によって排除する仕組みがあります。ところがこの仕組みが異常を起こし、正常な体の組織が自分の免疫によって攻撃を受けてしまう状態を自己免疫といいます。そして自己免疫が起こると血液の中に自己抗体と呼ばれるものができます。この自己抗体が作用することで体の組織には炎症反応が起こります。炎症という単語も聞いたことはあると思いますが、そのしくみはとても複雑でさまざまな反応が起こります。私たちが日常で経験する炎症の例をあげると、転んで足に切り傷ができたりしますよね。傷のまわりが赤く腫れて痛みが出たりします。でもしばらくすると痛みも腫れも引いてきます。ただし大きく深い傷や治るのに時間がかかったりすると傷あとが残ったりします。周りの皮膚と違って少し硬い感じの傷あとになったりします。甲状腺眼症の症状も目の周りの組織に起こる腫れ(炎症)とそれに続く傷あと(線維化)によって起こります。
甲状腺眼症の症状
まぶたの症状
まぶたの症状は甲状腺眼症で最も頻度が高く見られます。まぶたが腫れて眼科を受診し甲状腺眼症が見つかることもありますが、バセドウ病の診断がついていない場合はアレルギー性結膜炎などと間違われて診断が遅れることがあります。目の症状が体の症状より先に現れることもあるので、目の症状からバセドウ病が見つかることもあります。また体の症状はまったく無く目の症状だけ現れることもあります。つまり甲状腺機能には異常が無く血液検査をしても甲状腺ホルモンは正常値ですが、先にお話しした自己抗体だけ陽性になっている患者さんがいます。そういうケースでは内科的な治療は必要がなくても目の症状については必要に応じて治療を行っていきます。
まぶたの症状はまぶたの腫れと上眼瞼後退が主なものです。まぶたの腫れは他の目の病気でも見られるものですので甲状腺眼症に特徴的なものではありません。しかし目ヤニも痒みもないし、痛くもないけど何故かまぶたが腫れている。こんな感じで眼科を受診しますのでバセドウ病の診断がついている患者さんは先生がバセドウ病の影響でしょうとお話されるでしょう。しかしバセドウ病の診断がついていないと診断がとっても難しくなります。
もう一つよく見られるまぶたの症状は上眼瞼後退で、これは甲状腺眼症に特徴的な症状です。正常では正面を見ている状態で上まぶたは黒目(角膜)の上の白目(結膜)を隠して黒目にも少しかぶっています。上眼瞼後退では黒目の上の白目が露出してしまいます。力を入れて見開こうとすれば正常の人でも白目が見えることはありますが、自分で意識することなく見開きが強くなってしまいます。上まぶたの奥にはまぶたを引っ張り上げる筋肉がありますが、その筋肉(ミューラー筋)がバセドウ病の高いホルモンの影響で過剰に収縮したり、自己免疫の影響で炎症を起こすことで筋肉(上眼瞼挙筋)が伸びづらくなったりするとまぶたが引っ張られることで見開きが強くなります。上眼瞼挙筋の炎症で筋肉が伸びづらくなっている場合はまぶたがうまく下がらなくなります。あまり意識したことはないと思いますが人は下を見る時は目と一緒に上まぶたも下がり目を覆うようになりますが、それが下がらないことで黒目や白目が見えてしまうようになります。また症状が重くなるとまぶたが閉じにくくなりますので、寝ているときに目があいてしまったり、日常でもまばたきがきちんとできなくなり目が乾燥したりします。乾燥した目では充血やごろごろする異物感などの症状も起こしやすくなります。上眼瞼挙筋の炎症はまぶたの腫れも起こしますので、まぶたが腫れて見開きが強いという症状を見逃さないことが甲状腺眼症の発見では大切なことです。
眼球突出
バセドウ病の症状ではもっとも有名ではないかと思います。もともと眼球の突出には個人差があります。日本人は大体この程度という目安がありますが、患者さん自身がその変化はもっともわかることではないかと思います。眼球のまわりは骨に囲まれていて眼窩とよばれるくぼみの中に目はあります。眼球のまわりには脂肪や筋肉、血管などがあります。甲状腺眼症ではそのまわりの組織が炎症の影響で膨らんでしまい眼球が前方に押し出されることで眼球突出となります。眼球突出は顔貌の変化はもちろん、重度になると目が閉じにくくなったりして目の表面の状態が悪くなり、充血や目ヤニ、見にくいなど様々な症状の原因にもなります。
眼球運動の障害(複視)
片目は6本の筋肉(外眼筋)によって動いています。甲状腺眼症ではこの外眼筋にも炎症が起きます。炎症が起きると筋肉は肥大しますのでMRIなどの画像をみるとわかります。炎症が起きてある程度時間が経つと先にお話しした線維化が起こり、筋肉は動きが制限されてしまいます。筋肉は縮んだり伸びたりしますが線維化が起きると伸びづらくなります(伸転障害)。甲状腺眼症では6本の筋肉のうち眼球の下についている筋肉(下直筋)がもっとも炎症による肥大が起こりやすく、次いで内側(内直筋)、上側(上直筋)の順で頻度が高いことがわかっています。下直筋に肥大が起きた場合では眼球が上に動きずらくなります。眼球が上に動くためには上の筋肉(上直筋)が縮んで目を上に向けると同時に下の筋肉(下直筋)は伸びる必要があります。しかし肥大した下直筋は伸びずらくなっていますので目が上に動きずらくなるのです。そして上を見たときに物が二つに見える症状(複視)があらわれます。もちろん筋肉の伸転障害の程度によりますので目の動きの悪さの程度もさまざまです。症状が軽いうちはかなり上の方を見ないと左右の目のズレがないので複視に気づきません。人は日常生活であまり上を思いっきり見ることって少ないと思います。しかし症状が強くなると正面を見ているときも左右の目がズレてしまうようになります。こうなると患者さんは生活に支障をきたすことなりますし、何よりつらい症状に悩まされることになります。どの筋肉が障害されるかによって目の動きも変わってきます。下を見たときに複視を感じるケースもありますし、外側で複視を感じることもあります。またそれらが合わさった症状になることもあります。
視力の障害
甲状腺眼症では眼窩の中のさまざまな組織が腫れてしまいます。目には視神経という眼球に入った光を信号に変えて脳に伝えている大切な神経があります。その神経は目を動かしている筋肉(外眼筋)に囲まれた中を通っています。眼球運動のところでお話ししたように甲状腺眼症では外眼筋が肥大します。外眼筋の肥大がとても強くなると肥大した筋肉によって視神経が圧迫されるようになります。圧迫された視神経は力が弱くなり結果として視力低下や色合いの違い、暗くなる、視野の欠損など見え方に影響がでます(圧迫性視神経症)。ご高齢の方の甲状腺眼症では外眼筋の肥大がとても強い場合でもまぶたの腫れや眼球の突出などがあまり起こらないケースもあります。なかなか原因がわからない視力低下の患者さんでバセドウ病による視神経症の患者さんが時々見られますので注意が必要です。
甲状腺眼症の治療
甲状腺眼症の治療には炎症を抑えて症状を改善させる治療と炎症がおさまった後に残ってしまった障害に対する治療があります。炎症が強く起こっている時期を活動期と呼びます。また目の症状を緩和する目的で点眼薬や眼軟膏を使用したりします。
炎症を抑えるために最も効果的でよく使うお薬はステロイド剤です。局所に注射で使用する場合と点滴や飲み薬など全身的に使用する場合があります。まぶたの筋肉の炎症などには注射をよく使います。まぶたの腫れや上眼瞼後退は注射治療に比較的よく反応してくれますので早い時期にしっかりと治療する事が大切です。
目を動かす筋肉(外眼筋)の炎症に対しても注射治療を行うことがあります。白目(結膜)の奥に外眼筋はありますので結膜を小さく切開してステロイド剤を注射します。複数の筋肉が炎症を起こしていたり眼球の動きがすでに悪くなってきている場合などは点滴治療を行います。点滴治療はステロイドパルス療法という短期間に大量のステロイド剤を投与して炎症を鎮める方法です。入院で行う場合と外来通院で行う場合があります。患者さんの症状や目の炎症の状態などを見極めて方法を検討します。また注射治療の一つでステロイド剤を目の後ろに注射する球後注射という方法があります。炎症が残っているがステロイド剤は多く使いたくない場合やパルス療法と組み合わせて炎症を早く抑えたい時などに行います。
薬物以外の方法としては放射線治療があります。放射線には細胞を壊す作用がありますが、炎症が起こっている組織に集まるリンパ球をターゲットとして適量の放射線を目の後ろ側の組織に照射して炎症を抑えていきます。活動期の炎症をできるだけ悪化させないようにコントロールすることで炎症が治った後に残る障害を少なくすることができます。ステロイド剤はよく効くお薬ですが、投与すればすぐに炎症が収まるわけではなく、炎症が収まるまでにはある程度の期間が必ず必要です。ステロイド剤は漫然と長期間使用すると副作用が問題になることがありますので、うまくステロイド剤を使いながら炎症が収まるのを待つことが大切です。
比較的まれなケースですが、圧迫性視神経症による視力低下が高度な時にステロイド剤の全身投与やその他の治療でも反応が悪い場合に眼窩減圧術を行います。眼窩の内側の壁を一部壊して副鼻腔と交通させることで眼窩内の圧力を減らして視神経の圧迫を弱めます。そうすることで視神経の機能の回復、視力の向上が得られます。
炎症が収まったあとに目の障害が残ってしまった場合には、手術治療を行うことがあります。例えば目の動きが悪く日常生活に不自由がある複視に対しては斜視手術を行います。またボトックスという筋弛緩作用のあるお薬を筋肉に注射して目の動きの改善を行うこともあります。眼球突出に対しては眼窩減圧術を行います。眼窩の骨を一部薄くしたり、脂肪を切除することで眼球の突出が改善します。まぶたが腫れて閉じにくい症状や見開きが強く残ってしまっている場合などにもまぶたの手術を行います。甲状腺眼症のさまざまな症状は時間の経過とともに改善することがあります。一度突出してしまった目は絶対に治らないということはありません。複視の症状も同じですがある程度の期間は経過をみてから、しっかり目の炎症が落ち着いた状態で手術を行うことが大切かと思います。
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